2月25日

2月23日に新居に段ボール50箱運び込み完了しました。
25日には解体業者が残置物処分に来ました。
”夜逃げ状態”で出て行って良いと解体業者が言ってくれたのですが、さすがにある程度ごみの処分を頑張ったつもりでしたが、トラック3台分の残置物があったそうです。
本、フィギュア、服、楽器、アルバム。後ろ髪を引かれる思いで置いてきた物もあります。
アルバムは、ふと気になって父の部屋の天袋を確認した時に見つけました。
父の遺品整理をしたときに確認したつもりだったのですが、ある程度片付いたので天袋までは見なかったのかもしれません。
母との交際期から結婚式の写真や、父の幼少期から青年期、一番勢いのあった起業時前後の時代の物、すべて見てしまいました。夜中だったのに。
父が母と旅行に行った時に撮った写真がとても印象的でした。当時(60年前)は白黒しかなかった上に現代のような便利な機能も無い。それでも上手さ際立つ素晴らしい写真でした。
父が生きている間に見せてくれれば、「いいね!」くらい言えたのですが。
父はプロのカメラマンでした。報道から風景、なんでも撮ったようです。
記者席から田中角栄の写真を撮る時に前列にいた同業者を蹴り倒して騒ぎになり、田中角栄が”何事か”と記者席に目をやった瞬間を撮ったと言っていました。やってやろうと計画していたわけではないと思いますが。
後年父は自室に何かの雑誌から切り取った子供の写真を貼っていました。何枚も。
私が一度父に聞いたことがあります。「どんな写真が好きなの?」と。父は「人物」と答えました。
父は人が好きだったんだと思います。私には分かるんです。私も人が好きなので。私は間違いなく父の血を引いています。

25日の夜 すっからかんになった家を見に行きました。家族が皆居た当時が甦り不覚にも涙が出てきました。
その涙の理由の一つには「手放す結果になってごめん」という思いがあります。
だからこそ、今後の私の人生は楽しく充実したものにしなければなりません。50半ばにして安定とは程遠い人生になってしまいましたが、年齢は自分で決める。30代のように生きますよ。なので、衰えきった体力を徐々に回復させようと思います。
そして母にはなんとか無事に帰宅してもらいたいと願っています。

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