帰るの?

私が3歳か4歳のころ、おそらく髄膜炎で、都立の大塚病院に長期入院していたことがあります。
水疱瘡を患い発熱し自宅療養していた時に突然両足が麻痺をして動かなくなりました。
トイレに行こうとして廊下に差し掛かったところで全く足が動かなくなり「お母さん。。足が動かない…」と言ったのを今でも覚えています。
父が血相を変えて帰ってきて、自宅近所の診療所、波多野先生に診てもらいに行きました。もちろん歩けませんので父に抱かれて。
波多野先生は私を見るなり「早く大塚病院に行きなさい!!」とその場でタクシーを呼んでくれました。
両親もあの波多野先生の慌てようで事の重大さに気が付いたようです。
タクシーの中でも父の腕の中にいました。父の顔は青ざめ、まったく喋らず、普段常にふざけていた父とは別人のようでした。
大塚病院で検査をし、担当の大久保先生は「5分5分で死ぬ」と当時まだ30代だった母に言ったそうです。
「万が一助かっても一生車椅子です。」とも。

当時は都立病院でさえ治療法が確立されておらず、手探りだったようです。
しばらくは母が病室に寝泊まりしてくれました。
入院中様々なことがありましたが、今回は割愛します。よく遊んでくれたお兄さんがいつの間にかいなくなってしまったり。。

そんな母もさすがに毎日は泊まれませんので、帰宅することもあったわけです。
4つ上の姉もいますし帰らなくてはならないのは3歳4歳といっても分かっています。
母が一旦帰宅する準備をしていることが分かると私は「(帰っちゃうの?)」という気持ちでありながら、仕方ないという気持ちと葛藤し、気を付けて帰ってねというくらいのトーンで「帰るの?」と言いました。
残念ながら母の反応は覚えていないのですが、当時の大塚病院は正直薄暗く1歩間違えれば廃病院。しかも私は個室。不安で寂しくて怖さもあったと思います。私の「帰るの?」に母はそういう思いを感じ取ったことでしょう。

先ほど母が肺がんの定期通院から帰ってきましたので、様子を見に行ってきました。
姉からのLINEで「スープを2食分作っておいたから食べさせて」とありましたので、スープとパンを用意して母が食べ始めたところで、私が帰ろうとすると母が「もう帰るの?」と言ってきました。
不安と寂しさが滲みでていました。
大塚病院でのことを思い出し、逆の立場になってしまった今の状況に一気に涙があふれそうになりましたが、ニコッと笑い手を振り部屋を出ました。
おそらく大塚病院から一時帰宅する際の母も同じだったのではないかと、今そう思うのです。

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