ご報告
昨年11月12日に母が他界しました。
生前お世話になった皆様、特に介護事業所の皆様、ありがとうございました。
心より感謝いたします。
母は数年前から入退院を数回繰り返し、昨年初頭より一気に体調が悪くなりました。
ちょうど同じ時期に自宅の売却が最終段階に入り、繰り返し不動産業者、司法書士と打ち合わせ等があり、同時に引っ越しの準備をすすめ、仕事も通常業務をしながら、母の入退院の準備、病院から呼び出し等、今思えばよく乗り切ったと思います。
一度は脳腫瘍の回頭手術を成功し自宅に戻ったのですが、11月2日の朝、仕事の前に立ち寄った時にキッチンで転倒していました。
声掛けにもはっきりと返事がなかったのですが、「救急車呼ぶからね」と言ったところ頷きました。
寒かったようで、カタカタと震えていました。すぐに布団をかけ「ごめんね遅くなって」と謝りました。
母は小さく首を振っていました。
救急隊が到着し、いくつか質問を受けていましたが、力を振り絞って声を出して答えていました。
生真面目な母らしい姿でした。
直近のMRI検査は2か月前。1mmも脳に腫瘍はありませんでした。
たったの2か月で4cmにまで大きくなっていました。
脳の腫瘍は進行が早いそうですが、担当の医師も「それにしても早かったよね・・・。」と。
入院3日目までは声掛けに反応がありました。3日目の帰り際に「仕事行ってくるからね!」と言ったところ、「ふぁい(はい)!」(管を入れているので)と返事がありました。それが最後のコミュニケーションになりました。
11月2日に倒れてからは1度も目を開けることは出来ませんでしたので筆談も出来ません。難聴も酷いので、救急病棟で大きな声で話すしかありませんでしたが看護師さんからは一度も怒られることはありませんでした。
入院から亡くなるまで10日間ありましたので、私も姉も段々落ち着きを取り戻すことが出来ました。
亡くなる10日前までヘルパーさんの手助けがあったとはいえ、自宅で過ごすことが出来た母は立派だったと思います。
一度自宅に戻り、生前親交のあった皆様にお越しいただき、最後のお別れをしていただきました。
皆さん仰っていたのですが、母は綺麗になっていました。
息子の私もそう思ったのですから間違いないと思います。
皆さんが帰ったあと、母の遺体と向き合いしばらくの間、心で会話をしました。
いくつか母の思いを受け取った気がしています。
すべてメモに残しました。
葬儀場が一杯で予約がとれず、仕方なく10人が限界の小部屋でお別れ会を執り行いました。
母が住んでいた部屋を空けないといけませんので、毎日遺品整理をしに母の部屋に行きました。
甥が相当な戦力になってくれたおかげで12月中旬には解約することが出来ました。
思いがけずベッドの下から手紙を見つけました。
謝罪と感謝と、健康に過ごすようにと書かれていました。
自分自身の心境の変化、母の言葉、思い出等書き留めるため、日々手書きで日記をつけています。
少しずつこちらに書き移していきたいと思います。
長くなりました。
また。